[その2-1: 大阪広域前編]

3月16日土曜日、大阪未消化分の続きです。こんどは地元の友人Fを巻き込み、クルマを使う広域探訪へ出かけました。友人との約束は午前10:30だったため、まずは朝飯前に宿の周辺、梅田の大物物件2題を見にちょっと早朝散歩。

大阪中央郵便局 1 2(33056 大阪市北区梅田3)1939年
これは難解な作品に思えます。同じ設計者(吉田鉄郎)の東京中央郵便局は白いタイル、最上階の手前には水平線(蛇腹)状の『段』つき、大時計、アールのついたコーナー部分といった親しみやすさがあり、これよりはるかに解りやすい。

大阪局は東京局にくらべて硬質・直線的でより無表情で、おまけにタイルの色がこんなにも暗いのです。外観を見ている限り、モダニズムの売りと思っていた「清新な明るさ」「衛生感」といった印象がありません。

松葉一清氏は『帝都復興せり!「建築の東京」を歩く』の中で、東京局との関連で大阪局について以下のように触れています。

『〜同じ吉田(鉄郎)の設計では、大阪駅前の「大阪中央郵便局」が、東京のそれのように急な設計の変更で近代主義の意匠になったわけではなく、当初から無装飾で押し通そうとした完全な作品といわれている。明らかに様式建築の比例配分を残す「東京中央郵便局」に比べ、窓割り一つとっても開放的で、近代主義の意匠としては「大阪」のほうが数歩は進化している。しかし、汚れ果てた現況から受ける印象は、東京に比べて随分よろしくない。これが「近代」の最初の頂点とされるなら、建築表現に見る「近代」とは、せっかくの表現の広がりを無体に収斂させた不毛の時代であったと結論されよう。大阪の中郵が、戦時体制を間近に控えていたため、東京と同じ白いタイルを当局から許されず、陰鬱な青灰色に変えられたことを割り引いても、「大衆性」からは遠いところに存在していたとのそしりは免れ得まい。』

松葉氏の見方はかなり手厳しいですが、ぼくも見ていてちょっと似たようなことを考えてしまいました。でも、今のタイルの色が当局の強制によるものだったと知って、少し安心。タイルの色がもし白かったら、印象はがらりと変わると思います。

写真ではよく見えませんが、屋上に『POST OFFICE』のロゴが白くそびえています。書体がちょっと1920-30年代風に見えなくもない。エントランス部の『OSAKA CENTRAL POST OFFICE』のオレンジ色のロゴも同系統。復元か新設のいずれかとは思いますが、かっこいいです。

梅田阪急(33052 北区角田町8) 1929年
前回大阪に来たとき(2000年)に見て感動した旧コンコースの大空間は健在。8Fの大食堂とともに、京阪神に育った子供にとってのデパート原風景?ともいえる場所なのではないかと思ったりもします。こんど行ったら、大食堂(この日の夜行きましたが、アールデコの天井装飾とステンドが見事でした!)も写真に撮ってやるー。

帰りに阪急東前のアーケード商店街で立ち食いのうどんを食す。いつも思うけれど、大阪の立ち食いってなんでこんなに美味しいのでしょう? やっぱり食いもんに関する期待値が東京とは違うとしか思えない。うらやましい。

さて、ホテルで友人と落ち合い、さっそく探訪開始。まずは中之島の大物から。

大阪市中央公会堂(33009 北区中之島1)1918年
超がつく有名物件。改修中ですが、思ったよりもよく見えました。やっぱり素晴らしい。完成したらまた行くぞー。

府立中之島図書館1 2(33005 北区中之島1)1904年
こういうものを前にすると、言葉が出ない。古典であれ中世であれ、歴史様式にはある種の絶対美というか、高度な普遍性が宿っているに違いありません。20世紀社会の様々な環境変化がこれらを葬ってしまったのは、個人的には残念に思います。千年単位で熟成してきたものをたった100年の間に放棄するのが、果たして良いことなのかどうか...。

中に入ろうと思い受付に行きましたが、府立の図書館だけに荷物預かりとか手続にちょっと手間が掛かりそうだったので、時間がないからまたこんどにしますと云ってその場を辞すと、じゃあこれをと開館日カレンダーをくれました。

建て替えられた大阪市役所のところに、がいました。

中央電気倶楽部(33026 北区堂島浜2) 1930年
気軽に入れるから入ってき、という友人にそそのかされ(笑)、半信半疑で入ってきました。受付の女性にはにっこりと会釈して通り過ぎ、階段を上がって3F〜4FのEVホール部分を撮影(冷や汗)。準備中の大食堂や5Fにあるという大ホールはさすがに遠慮しました(ただの不審者ですので)。ご覧の通りの雰囲気です。赤い絨毯に弱い自分はもうメロメロでした(笑)。

住友倉庫(33355)を横目に見つつ、クルマは川口エリアへ。

日本聖公会川口教会1 2(33356 西区川口1)1920年
1920年この教会も震災被害がひどかったそうですが、今は見事に復活を遂げています。川口居留地をしのぶ数少ない遺構。

クルマはそのまま『みなと通り』を南下、本田(ほんでん)1丁目へ。ところが、室町サービス(33358 旧三井銀行川口支店)は解体でした(T_T)。

気を取り直し、さらに南下。すると、友人が前方右手を指して『あれは?』と訊く。見ると、何やら黄色いタイルの古そうなビルが。さっそく九条一交差点に停車。

宇川病院1 2(33367 西区九条通1)1930年頃?
日本近代建築総覧」掲載物件でした。最上階は増築で、これがなければ塔屋がちゃんと塔としてそびえていたと思われます。

岩出建設(33365 旧三菱銀行九条支店)西区千代崎町1 1925年頃?
同じ九条一交差点に面してます。古典様式の銀行建築といってもいろいろバリエーション豊かで楽しい。心なしか、関西のほうが銀行建築の表現が多様に思われるのですが、気のせいかな? ちなみに、後ろ姿の写っているクルマが我々の足でした。

このへんでお昼にしようと何げなく大阪ドーム付近に向かっていると、あっ!
何だあれは??

大阪市交通局(33371 旧大阪電気局)西区九条南1 1930年
「近代建築ガイドブック」には解体となっていましたが、健在です。濃密で陰影深く、東洋的な怪し味も感じる。昭和初期の折衷的表現だろうか。でも、けっこう好きです。隣の旧関西電力は解体。

このすぐ先に、交通局労組の会館?だったか、個性的なモダニズム建築が建っていました。これもなかなか目を引きましたが、写真は撮らず。撮ればよかったと今になって後悔。

ここで前半終了。『鶴橋風月』弁天町店にて昼食休憩。奢らされたのは言うまでもありません(笑)。でも、豚玉も焼きそばも美味でした。思い出すとヨダレが。。

後編へ続く。

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